2012年2月15日水曜日


矢尾喜兵衛の所感(三)正直と薄欲

 

およそ人間の欲望ほど際限の無いものはないでしょう。欲望ゆえに身を焦がし、それが極端になると破滅にいたることは、個人であれ、家であれ、国家であっても同じことです。商いは、営利を目標とするだけに、絶えず欲心を刺激される状況に会することが多いのも事実です。それは、商いが常に欲望にもとづく危険に曝されているということでもあります。

 商家の願いは、家業の永続ということにあります。日々の生活においては、欲心をかきたてる利益を目指しながら、なおかつ家の永続を祈るには、欲望のコントロールが必要になります。そのコントロールが外れた結果としての奢りを防ぐために、勤勉・始末が強調され、一時の損得に一喜一憂しない経営の長期的視点が重視されるのです。

 四代目矢尾喜兵衛は、嘉永六年(一八五三)秋に記した所感のなかで、家業永続の基としての考えを次のように述べています。

 先ず、時世の風潮を批判しながら、農工商それぞれに本来の職分を尽すことが国益に叶い、家内長久の基になると主張しているのです。昨今の世の習いは、金儲けさえすれば身代は良くなって家も長久するように思っている人が八~九割もいるが、しかしこれは間違いであり、全くそのようなことはない。

 百姓は、世間のため国のためになる有用な作物をたくさん作り出すからこそ天職であり、それが冥加というものである。欲得から初茄子一つに金一分というような高価なもの、奢侈にかかわる高値の品物ばかり作り出す農家は農民の天職を汚すものである。百姓の本来の冥加を弁え、耕作を大切にする農家は子孫も長久するものである。

 職人も国家の実用に役立つ品を作り出すように努めるならば、天意にも冥加にも叶うであろう。それなのに、無益な何の用にも立たない奢侈の者が玩ぶだけの高価な品を作り出すのは、たとえ人目を驚かすほどの腕の職人であっても、人々を奢侈に趣かせるだけであり、安価な国家の役に立つ品物を作る国用の職人にはるかに及ばないものである。

 商人については、二種類に分けて論じています。国家の実用の品を商売する者を上商売人と呼び、そのような商人は利も薄いが天地の意に背かない商家なので、子孫繁昌して家内長久のきっかけになるような商人である。しかし一方、百人の商人中八〇人は、何の役にも立たない無益の品を売り出す無国用の商人である。なかには、世上の人々を奢侈に引き入れる商人や、善人を不善人にするような商人もいる。すなわち、人を煽てて私欲に耽る物好きに仕立て、詰まらないものに大金を投じさせ、それを誉めそやしてますますへんてこな人間にしてしまうような商人である。

 元来、商人というものはお客から商品の価格に応じてお世話賃として口銭をいただき、そのお蔭で一家や奉公人を養い育てているのである。それだから、品物をよく吟味し、もし品質が悪ければ値段を下げて口銭もできるだけ薄く売り、一度入来したお客が喜んで再訪したくなるように仕向けるのが大事であり、正直と薄欲の二つを常に忘れないようにすることが肝要である。

 このように喜兵衛は述べて、日常的に利益に接する商家であるがゆえに、正直ということと薄い欲心ということを心掛けることによって、欲望をコントロールし、家業の永続を図ったのです。

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