2012年2月19日日曜日


 近江大店の店員養成と人物評価

 
 

  近江商人の奉公人制度は、在所登り制度と呼ばれます。それは、近江店の奉公
人のほとんどは近江の出身者であったので、奉公中に在所、すなわち故郷の近
へ何回登ったか、帰郷した回数が重要であり、登りを重ねることと店での昇進が
結びついた制度でした。
 江戸時代の奉公人は、地縁・血縁を頼りに保証人を立てて入店を申込み、許
されると、奉公人請状を差し入れました。この請状には、本人の名前・年齢・親
元・宗旨・保証人名が書き込まれ、入店誓約書であると同時に身元引受状の性
をもっています。内容のほとんどは、奉公人の側の守るべき条項や約束が盛り込
まれたものです

 店員の一般的な出世コースは、丁稚→手代→番頭→支配人→別家というもので
した。一二歳前後で入店した者は丁稚と呼ばれ、家内雑役に従事しました。一五
歳頃に半元服となり、額に角入れをして、名改めが行なわれ、給金も出るように
なります。
 入店後五年位で、五十日ほどの初登りと称するはじめての帰省を許され、勤
状態の良い者は元服して手代に昇進します。手代は販売・接客・金銀鑑別・符牒
(商用暗号)を覚え、業務一般を見習うのです。二度登り、三度登りと登りを繰
り返しながら、主に仕入を担当する番頭に昇格し、首席番頭が支配人の地位に就
きます。

 支配人を三年~五年務めると、三五歳位で宿入りといわれる別家となります。
別家にも独立して商いをおこなう独立別家と、独立別家よりも上格の日勤別家が
ありました。
 以上は、子飼い店員の在所登り制度の一般的な例であり、入店から別家となる
まで二十数年を要する長い奉公生活でした。現代流でいえば、OJT(オン・ザジョ
ブ・トレーニング)という配置転換をおこないながらの店員養成ですが、途中の
挫折者は五割を超えるという、厳しい人材選抜制度でもありました。

 人物評価においては、間に合う、間に合わないということ、つまり機敏で能
があるか否かが重視されたものです。能力評価の事例をいくつか挙げてみましょ
う。店拡大発展期におこなわれた、中途採用者の評価でも次のように述べられ
ています。

 年上の者(中途入店者)、後より参り、早く間に合い候ゆえ、先に参り候者
(子飼い者)より上の段にあい成り候ことこれ有り、この儀決して論ずべからず
                  (外村与左衛門家「作法記」安政三年)

 中途入店者の能力が高くすぐに役立つので、子飼い店員の上席になっても、
れこれ論じてはならないというのです。反対に、間に合わない者に対しては容赦
なく厳しい評価が下されました。彦根の関東出店に勤務する富吉という店員の場
合、「一六歳の年、初登り頃にも未だ間に合い申すべき人物にあい見え申さず、
はなはだ鈍き者にこれ有り候」と、手厳しい勤務評定がおこなわれています。

 中井源左衛門家の「家方要用録」(年紀不明)では、店員の賢愚の見分け方に
ついて、「大体一七、八歳にて賢愚あい分るべく候へば、このところにて処置い
たすべく候」と述べ、五年ほど育ててから資質の賢愚を見極めようとしています。

 しかし、万事が能力主義一辺倒ということではありませんでした。外村与左衛
門家の「心得書」(安政三年)は性格を重視して次のように述べています。

 人並の働きこれなき者は、尚々心正しくいたすべし、自然その志に感じ、人に
 おもわれ 候えば、重き役にも趣くなり

 一人前の力のない者でも、心栄えが正しければ、周りの人の信頼を得て、やが
て重要な役にも就くことができる、と諭していま。反対に、才知のみある人物を
警戒して、「いかほど才知これ有り候とも、薄情実意これなき者へ支配申しつけ
まじく、このところ専要のこと」(中井源左衛門家「家方要用録」)と、人格の
ともなわない才知だけの人間を店方トップの支配人役に就けてならないと念を押
していることをみても、能力とともに人柄が重視されていたことが分かります。

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