2012年10月17日水曜日


再論 近江商人の三方よしとCSR

                    

日本では、二〇〇三年三月に社団法人経済同友会が、「市場の進化と社会的責任経営」という小冊子を出してから、CSRCorporate Social Responsibility)経営ということがにわかに喧伝されるようになりました。この小冊子の提言する企業の社会的責任は、従来のような単なる経済的価値の実現やコストとしての社会貢献、法令順守といったものではないのです。

そこにあるのは、経済のグローバル化や情報化による市場の進化によって、企業は経済的価値だけでなく社会的価値の増大を求められるようになるとの認識です。これからの企業は、持続的発展のためにCSRを結果や義務としてだけでなく、最初から経営の中核に据えなければ未来は無いというのです。

 このような企業の社会的責任という観点からすると、日本には外来語のCSRに通底するところの多い生え抜きの経営理念があります。売り手よし、買い手よし、世間よし、という三方よしに代表される近江商人の経営理念です。

 

一 近江商人と三方よし

近江商人という人々は、近江国と称された現在の滋賀県域の出身者で、時代的には江戸時代から明治・大正期にわたって活躍した、近江に本宅を置き、日本全国を市場とした商人であります。

現在、近江商人に系譜をひく企業としては、伊藤忠、丸紅、日本生命、滋賀銀行、ワコール、西川産業、さらに多くの繊維商社・関東の醸造業などです。

 近江商人は地元の近江を活動の場とはせず、近江国外で活躍し、完成品である上方の物産を地方へ持下り、地方の物産を原材料として上方へ持上る行商を主要な営業活動としました。このような移出移入の商いは、小売ではなく、商人を相手とする卸商法であり、これを当時の言葉で、持下り商いと称しました。出店を設ける段階にまで成長すると、それは諸国産物廻しと呼ばれるようになります。

 この持下り商い、諸国産物廻しという商法は、世界中から原材料資源を輸入し、それを高い加工技術によって完成品として輸出する現在の日本の経済と経営と重なるものであり、その先駆形態として近江商人の富の源泉となったのです。

 天秤棒による他国行商から始まって、やがて出店を開くという商いが軌道に乗るには、長い年月と忍苦を経ての市場開拓が必要でした。地縁血縁のない他国での商売が成り立つには、地域の人々から信頼を得ることこそ第一義的に必要なことはいうまでもありません。その他国商いのための心構えから、三方よしと呼ばれる近江商人の経営理念を端的にあらわす標語が生まれたのです。まさに三方よしは、近江商人の商いそのものに由来する理念といえるでしょう。

 

二 利益に対する考え方

 三方よしの原典は、宝暦四年(一七五四)に神崎郡石馬寺の麻布商中村治兵衛宗岸が養嗣子の宗次郎宛に認めた書置きである。書置きには次のような一節があります。

 

  たとえ他国へ商いに参り候ても、この商い物、この国の人、一切の人々皆々こころよく着申され候様にと、自分の事に思わず、皆人よき様にと思い、高利望み申さず、とかく天道のめぐみ次第と、ただその行く先の人を大切に思うべく候、それにてはこころ安堵にて、身も息災、仏神の事、常々信心にいたされ候て、その国へ入る時に、右の通りにこころざしをおこし申さるべく候事、第一に候

 

 他国商いについて述べたこの一節こそ、三方よしの原典となったものです。

このなかで宗岸は、三つのことを伝えようとしています。

一つ目は、自分の持ち込んだ商品に自信をもちながら、相手の立場や満足を徹底して尊重しようとする姿勢です。現在の顧客満足(CS)ということに通じた考え方です。二つ目は、商いの結果としての利益に高利を望んではならない、損益は天道のめぐみ次第であるという位の薄利でよいというものです。三つ目は、遠い他国まで商いに来た以上は何とか儲けたいというような、自分本位の考えを抑えるために信仰を深めるように諭しています。

商人でありながら利益に対する欲心を抑えることを説いたのは、宗岸だけではありません。社歴四〇〇年を超える西川産業の祖である西川甚五郎家の文化四年(一八〇七)の家訓も、利益について次のように記しています。

 

 商い事、諸品吟味いたし、薄き口銭にて売り捌き、譬え舟間の節にても余分口銭申し受けまじく候

 

 商品の販売については、品質をよく吟味した上で、できるだけ少ない口銭で

売り捌くように努めること。たとえ舟間の節のような品薄のときであっても、

余分の口銭を受け取ってはならないと戒めているのです。同じ主旨の家訓は、

毎年近江八幡の本宅へ届けられる「勘定目録帳」の末尾に家訓として記載され、

薄い口銭に徹することを毎年確認しています。

 湖西出身の小野権右衛門家には文政七年(一八二四)制定の「掟書」があり

ます。そのなかには、欲に迷って不実の商売に手を出して得た過分の金儲けは、

身上を潰すことになると警告し、高利と不実の商いを同列にとらえて、利に迷

うことの危うさを指摘した条文が含まれています。

 さらに、中井源左衛門家の家訓「中氏制要」は利益の正当性を論じて、「人生は勤むるにあり、勤むればすなわち乏しからず、勤むるは利の本なり、よく勤めておのずから得るは真の利なり」と表現し、まっとうに勤勉に働いて得た利益こそ、誰にも憚ることのない真の利であると述べています。

 

    三 家業永続と商いの手法

 努めて薄利と真の利益を重視して家産を築いた近江商人が次ぎに求めたものは、家業の永続でした。商家であれ、会社であれ、営利団体というものは、その手にする利益に正当性がなければ、モラルハザードを惹き起こし、存続の理由を失うということは、今昔を問いません。それは、近年の企業不祥事が明瞭に物語っているところであります。

取引において、売り手と買い手のみでなく、世間よしという第三者の目を意識した近江商人の卸商法は、商いの現場で実践され、成果を挙げました。

 創業三〇〇年を超える神崎郡金堂の外村与左衛門家(外与㈱)では、安政三年(一八五六)に「心得書」が作成されました。これは、問屋商売の要諦を達意の文章で示した家訓です。

先ず、取引の基本姿勢について、「目先当然の名聞に迷わず、遠き行末を平均に見越し、永世の義を貫き申すべきはからいなり」と宣言しています。経営は目先のことに右往左往せず、長期的平均に見ることが大事であり、人道を利益に優先させることを謳っているのです。

また、販売時の極意については、顧客の望みにまかせて売り惜しみせず、たとえ不利益であってもその時の相場で損得に迷わず売り渡すことであり、売る方が安売りを悔やむような取引をすることであると教え、「売りて悔やむ事」を極意として伝えようとしているのです。

この家訓を制定した当時の外村家は、近江商人番付のトップに位置づけられていました。その世評が妥当な評価であったことは、同家の純資産の研究からみても明らかであり、高い商道徳の保持が同家の隆盛の一因であったといえるでしょう。

 

   四 三方よしとCSRとの異同

新しい社会的責任経営としての現今CSRは、社会的価値と経済的価値の実現は一体のものであり、CSRに取り組むことは利益を生む投資と考えるべきであり、義務としての法令順守を超えた自主的取り組みであると主張します。

CSRは利益を生む投資であるとするとき、想定されている利益は、リスク低減やイノベーションによる差別化によって確保できるような直接的利益と、SRI(社会責任投資)を呼び込み、グローバル化への対応を可能とし、優秀な人材を惹きつけることによる間接的長期的利益の二つである。

近江商人の三方よしとCSRとを比較してみましょう。前者は世間よしを標榜し、後者は社会的価値の実現を説き、ともに事業活動には社会認識こそ重要であるという点で、時代を超えた類似性があります。

ただ、利益観には相違があります。近江商人の場合は、薄い利益を何代にもわたって積み重ねて、結果として強い企業体質を築いて、その系統は今日なお老舗企業群の一角を占めています。現今のCSRでは、CSRへの取り組みは直接的にも間接的にも積極的な利益獲得が可能であり、企業価値を高め、企業の持続的発展につながると主張します。
以上のような異同はあるものの、今後、日本企業が現今CSRに対する価値観を対外的に発信していく上で、近江商人の「三方よし」や薄利に徹して徳義を重んじた経営理念は、日本生え抜きのCSRとして十分に独自性を発揮できるといえるでしょう。

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